キャラクター詳細
「謎煙の主」は聖火競技場の西、ナタの心臓部に位置している。遠方から眺めた時に、谷の中に薄暗い紫色の光が漂っている辺りがそうだ。
人々が謎煙の主の民に抱く印象にも、その光景のような雰囲気がある——彼らは神秘的で奥深い、難解な言葉をよく使うのだ。そして、診療や占いなどの依頼を受けて外出する時を除けば、めったに姿を見せることはない。
しかし、オロルンは例外だ。人と交わることが好き…と言う意味ではなく、彼は野外を探索することを好むのである。人里離れたところに住み始めたと思ったら、どんどん集落から遠ざかり…今や、たとえ十頭のライノ竜で引き戻そうとしても、そこから動く気は起こさないだろう。
それだけではない。彼と話したことがある者なら、彼の思考についていくのは一苦労だと誰もが実感するはずだ。彼と話すことは、才能と努力が試される二重の試練を受けるようなものである。
しかし、オロルン本人は人にそんな試練を与えようとは思っていない。彼の言葉や行動は大抵の場合ごくシンプルで、深読みする必要などないのだ。
ある例を紹介しよう。ある日、オロルンの住まいを通りかかった親切な人が、集落の外に住む彼を心配してこう尋ねた——「一人でここに住んでいるのは、もしかして…部族の人と揉め事でもあったからなのかい?何か力になれることがあれば、言っておくれ」
「いや、そうじゃない。」
オロルンは花のつるを弄っていた手を止めて立ち上がり、周りのミツムシを見つめながら真剣な表情で言った。「この子たちがここを気に入ったらしい。だから、ここで一緒に暮らそうと思ったんだ。」
キャラクターストーリー1
古名の存在もあり、ナタの人々は名前を大切にしている。そんな環境で育ったオロルンも、その一人である。さらに彼は周りのものに名前をつけるのが好きなのだが、その対象は生き物だけとは限らない。
彼のつけた名前は、持ち主と一生を共にする。花はいずれ枯れ、グラスもいつかは割れる。しかし、その短い、あるいは長い一生を最後まで共にできたなら、たとえそれがたったの一分間だったとしても、名前は無価値ではないのだろう。
また、彼は途中で名前を変えることもある。気が変わったわけではない。名前の持ち主が何らかの事情で姿を変え、より相応しい名前が必要になることがあるのだ。例えば、成長するにつれてどんどん丸くなっていく竜をいつまでも「ペラくん」と呼ぶわけにはいかないだろう。
とはいえ、オロルンが名前の意味にそれほどこだわっているのかといえば、そういうわけでもない。彼がつけた名前は、対象をありのまま表現しており、とても分かりやすいものだ。それに、彼が名前をつけるのは単に対象を呼びやすくするためであって、特別な感情を込めるためではない。名前は大切なものだ。だからこそ、中性的かつ平等であるべきだし、より円滑なコミュニケーションをとるために役立つものであるべきだ。
このような考え方は、彼自身の名前に対しても変わらない。ただし唯一の違いは、彼は自身の名前の意味を知らないことだ。
オロルンが赤ん坊のとき、おくるみにくるまれた状態で発見されたのだが、その内側に名前が書いてあったのだという。古書を調べたり、年長者に聞いたりもしたが、手がかりは見つからず、意味も未だに分からぬままだ。
——もしかして、ばあちゃんの読み間違いだったのだろうか?おくるみに書かれた文字はかなりぼやけていたそうだし、ばあちゃんの年だと…
いや、この疑問は胸の中に留めておいたほうがいいだろう。尋ねた日には、デコピンの嵐を浴びるハメになることは目に見えている。
キャラクターストーリー2
「謎煙の主」の民はウォーベンに物語や伝説、歴史などを記録している。布と織り糸で織り出される模様は、文字のように物事を詳細に伝えるのは難しい。ウォーベンの情報は、飾り気のない文字に比べて、より抽象的で概念化されたものになる。しかも多くの場合、作者の感情が大いに影響する。
要するに、再創作の要素が非常に濃いのだ。主体と背景、強調すべき事象と簡略化すべき事象を織り手が判断し、創作するわけである。
——というと、特に難しいこともなさそうだが、オロルンは困り果ててしまう。
何せ、主体と背景を区別するべきではないと彼は思っているのだ——人物も背景も家も山河も等しく重要であり、ゆえにそれに割く材料の量も同等でなければならない。そこらに咲いた一輪のサウリアンサキュレントの露までも再現しようというこだわりぶりだ。そういうものも部族の「じいちゃん」「ばあちゃん」の顔に刻まれたしわと同じように、布の上で輝きを放つべきだ、というのがオロルンの持論なのである。
しかし、この考えはある問題をもたらした。ウォーベンを織る際の彼の忍耐力は限られている。たとえば、ドアの傍にある木とその横に立つ人物を表現するとしよう。可能な範囲で「平等」に表現しようとした場合、全ての要素が簡略化され、完成品はもはやウォーベンとは呼びがたいものになってしまう。強いて言うなら、何かしらの模様が施されたタオル…といったところだろう。
人から教わっても身につけることが難しいことはたしかに存在する。生まれつきの才能による部分が大きい、芸術分野となればなおさらだ。オロルンがほかの分野——たとえば、魂の感知や地脈の観測——において人一倍の才能を発揮していることを鑑み、部族でウォーベンの織り方を教えていた師匠たちは、強要はすまいと決めた。ウォーベンの授業はオロルンの選択科目とし、好き放題させたのである。
それを機に、オロルンはこれ幸いと布と糸さえも手放し、紙とペンで描いて済ませるようになった。「ささっとペンで描けばいいものを、なぜ骨を折ってまで布に織る必要があるのだろうか?」しかし意外なことに、オロルンの作品を見た他の部族は誰もが畏敬の表情を浮べるのだった。謎煙の主の民がラクガキの才能にも恵まれていることは周知の事実…皆はオロルンの絵を古の祝福が込められた呪文だと思い込んだのだ。
実際、オロルンはこれといって有用なものを描いたことはあまりない。唯一有用だと言える作品は、イファの診療所の前に立てられた看板だろう。滑らかな線で色鮮やかに描かれたそれは、オロルンが最も真剣に作った作品でもある。
「竜の怪我した翼に包帯が巻かれているのが可哀想だったから、かなり気を遣った。絵に占める割合こそ少ないが、君を描く時と変わらないぐらい時間をかけて描いた。」
「そうか。」オロルンの真剣な目を見つめ返しながら、イファは落ち着いた口調で言った。「これほど生き生きした俺は初めて見るな。礼を言うぜ、きょうだい。」
キャラクターストーリー3
「人を愛する者は、人恒に之を愛す」という言葉がある。自然界のあらゆる生き物を愛するオロルンに、この土地のあらゆるものが、優しい心をもって接している。
——というのは偽りだ。オロルンに対する人々の態度は、たしかに大方友好的なものだが、それは彼の自然への愛とは必ずしも関係しているとは限らない。
オロルンに対する人々の扱いは、一部は同情によるものだ。山で拾われてきた天涯孤独の赤ん坊が一人で生きていくことはできない。食べ物や服を届けるのは大した手間ではないし、その子が健やかに育っていく姿を見守ることは、世話の労力をはるかに超える満足感をもたらしてくれる。こんなに嬉しいことはないだろう。
そしてもう一つは、単純な好感によるものだ。オロルンは(ほとんどの場合)実にいい子なのだ。(普段は)誠実で穏やかで、物分かりがよくて、しかも勉強熱心…やんちゃないたずらには興味も示さず、独学で野菜の栽培法やミツムシの養殖法まで身につけ、自力で生活できるまでになった。周りの人に(できるだけ)迷惑をかけまいと生きる若者に好感を抱かない者はいないだろう。
三つ目は——ごくわずかな割合ではあるが——罪悪感によるものだ。オロルンは生まれつき魂が不完全だった。拾われてきたばかりの頃、集落では彼の特殊な体質を利用して、彼を媒介にナタの地脈を救う試みが行われた。幸か不幸か、個人を犠牲にする方法は功を奏さなかった。おかげで結論の出ない倫理的問題をめぐる言い争いは避けられたものの、当時この件にかかわった年長者たちは言葉にできない罪悪感を抱いてきた。
この件を秘密にしても余計な問題が生じるだけだと判断した人々は、特段秘密にすることもなかったので、オロルンも長じてからこれを知った。この件の扱い方に彼は不満を覚えたことなどないし、むしろありがたく思っている。現実がどれほどつらかろうと、偽りの中で生きるのは嫌だからだ。
人々が自分を気にかけてくれる理由も、オロルンはよくわかっている。同情も優しさも罪悪感も、あるいはそれらすべての入り混じった感情も、ありのまま受け入れているのだ。
イファの言を借りれば、社会における人間関係はとても複雑なもので、他人の心境を推し量るよりも、結論と行動だけを見たほうがよほど楽だ。みんなの優しさに善意で応える…至ってシンプルな話なのである。
「獣医でよかったってつくづく思うよ。」イファはジェスチャーを交えながら話す。「だって、人間を相手にするってなると、もっと色んな状況に対処しなきゃいけないだろ?」
その後、イファは病気や診療にまつわる変わった事例を列挙したが、オロルンはあさっての方向へと思考を飛ばしていた——いくら「変わっている」といっても、僕の状況より変わっているものはないだろう。
そうすると…僕も患者といえるかもしれない。しかも、かかっているのは不治の病だ。さらに言えば、普通の人間とは耳の形が違うから、病にかかった「動物」と言ってもいいかもしれない。ふむ…そもそも、人間は動物と言えるのだろうか?——
ここまで考えて、オロルンは、滔々と続くイファの演説を遮って質問した。「もし僕が病気になったら、獣医に行くべきだろうか?」
イファが口をつぐみ、オロルンを睨む。
「…今の話、全然聞いてなかったな?」
「それより、答えたくない質問から逃げるな。こっちに矛先を向けても無駄だ。」
キャラクターストーリー4
もしも凄まじい根性と時間的余裕があって、「謎煙の主」の古書やウォーベンを読破したことがある者がいれば、その内容の幅広さに驚くだろう。
数百年前に連載が途絶えた稲妻の娯楽小説など、一体誰が読むと言うのだろう?
「紙が燃えた後の灰の三百六十種の形についての分析とその予言の応用記録」——こういった資料を、一体誰が整理しているのだろうか。
これら文献の出所はさておき…残念ながら、これらの資料を閲覧し、整理する者は今やオロルンくらいしかいない。
最初は、不完全な魂が過去に現れた記録がないか調べるために手を出したのだが、地脈や夜神、幽霊などの言葉が押し寄せてきたと思ったら、続いてドキュメンタリー文学やファンタジー小説の波に見舞われ…最終的にショコアトゥルの種のごとく積み上げられた資料の海に吞み込まれてしまったのである。そうしてボランティアの図書館司書となったオロルンは、当初の目的とは関係のない知識の海に溺れる羽目となった。
「もともとそこまで興味があるわけでもないのに…」さすがに少し疲れてきたオロルンは考えた。しかしすぐに、「まぁ、他にやることもないし。」と考え直した。それに、大量の時間を費やしてきたが、まったく収穫がなかったわけではない。
現時点で最も合理的な説明は、意外なことに表紙の擦り切れた怪談集から見つかった——はるか昔の魔神戦争の時代、一部の魔神は戦いで勝つために、獣の血脈と人間の血脈を融合させ、人を超えた力を持つ戦士を育てようと試みたという話があったのである。実験はほとんどが失敗に終わったが、一部の成功例が現代にまで残っているという…
「筋は通っているが、あくまで物語だろう…」そうオロルンは考えた。
「いや、物語とはいえ、あり得なくもないか…」とも考えた。
しかし、二十歳そこそこの頭で真相を突き止めるというのは、現実的でなかった。考えに考えても、結論は出せそうにない。たまには、己の無知と無能さを認め、受け入れなければならない時だってある。あるいは、面白い物語でも作って自分を納得させるのも手だ。
資料に引き続き目を通す気が失せたオロルンは、数分かけて、最も簡潔で分かりやすい理屈を導き出した——
パズルで、場違いのピースを無理に組み入れようとすると、必ずぶつかったり歪んだりして、ピースが破損してしまう。二十数年前のあの日、まさにその破損したピースだった僕は、たまたま冷たい石の上に落ちていたのだ。
キャラクターストーリー5
ちょうどいい気候に恵まれたある夜、オロルンはファデュイの者たちと一緒に野営地に座り、皆の話に静かに耳を傾けていた。
そんな彼と同じようにしていたのは、途中からそこに加わった「隊長」だけ。他の者たちはオロルンの存在を気にする様子もなく、他愛もない世間話に花を咲かせている。彼らがオロルンを警戒しないのは、きっと彼と上官の協力関係を知っているからだろう。一人の兵士が、オロルンの年を尋ねた後、「炎水」という無色の飲み物を渡してくれた。
オロルンは試しに一口飲んだ後、一気に飲み干した。他の兵士がみんなそうしていたからだ。すると、盛大な歓声が沸き起こった。なぜだか、気分が高揚してくる。
兵士たちは家族のことや身の回りで起きたことを語り合ったり、時々皆が知っている歌を歌ったりしている。その輪の中に入れないオロルンは、焚き火を眺めたり、夜空を眺めたりしていた——「空はとてつもなく遠いんだろう…小さな星はまるで、白い粒みたいだ。霧も小さな粒子でできているんだったな…『星霧』…うん、なかなかいい名前だ。」などと、取り止めのない思考を巡らせながら。
後に彼は、ファデュイのすべてがそのような人たちではないことを知った。ファデュイ執行官第一位「隊長」の率いる精鋭部隊は、年齢とともに戦歴を重ねてきた、モラルと場をわきまえた行動を心がけるベテラン兵だったのである。他の部隊にはオロルンよりも若い兵士がおり、眉をひそめるような行為に及ぶこともざらにあるという。
だが、星がきれいに見えた風のないあの夜、そんなことを知る由もないオロルンは、しばし悩みを忘れ、友好的な雰囲気と変な味の酒を心ゆくまで楽しんだ。
こんな夜はもう二度と訪れないだろう——あの時、そんな予感がしていた。この予感を裏付けるかのように、二杯目を飲もうとした時、「隊長」に容赦なく止められた。一杯飲んだ後も顔色はほとんど変わらず、酒豪の素質が透けて見えないわけでもなかったが、あまり深入りしないほうがいいこともあると思ったのだろう。
しかし、オロルンが素直に従うはずもない。その後、彼は酒をくれた兵士をこっそり訪ね、炎水の醸造法を教わった。もし、夜空を映すほど澄み切った酒を作れたら、最初の瓶には「星霧」と名付けよう、と考えて。
おやつ箱
それは人間ではなく、野生動物のために用意したおやつだ。動物たちの好みに合わせて、それぞれのおやつが仕切りのある箱の中に入っている。
動物は賢い。オロルンの観察によれば、動物と人間の知能には、多くの人々が想像するほどの差はない。人間がうまく生きているのは、多くの場合、先人の知恵のおかげだが、厳しい環境の中で生き抜くすべを見出している動物のほうが、実は人間よりすごいのかもしれない。
動物が人間に助けを求めるのも、人間と共に暮らす中で学んだ、欲しいものを手っ取り早く手に入れるための方法の一つなのだろう。例えばオロルンは道を歩いている時、急に背中に重い衝撃を受けることがある。ほんの少し反応が遅れたら、フライングモモンガがマントを引っ搔いた跡が、きっともう数本増えてしまう。
動物の間には、きっと共通の通信ネットワークがあるのだとオロルンは考えている。動物の伝達使は、ひょっとすると人間よりも器用かもしれない。空を飛んだり地中に潜ったりするうえ、いろんな動物の言葉を身につけないといけないからだ——ナタの動物が「オロルンのポケットにご馳走が入ってるぞ!」と言っているかもしれないと思うと、思わず口角が上がってしまう。
だから、招かれざる客が訪れたとき、たとえ追い払う方法を知っていたとしても、それをオロルンが実行することはない。誰もが、どこに行っても動物たちに仲間だと思ってもらえるわけではないのだ。
当然ながら、動物たちはそれぞれ色んな性格をしているし、感謝を伝える方法もさまざまだ。
例えば、キィニチのところのアハウは実にヘンテコな性格をしている。「我輩がもらって当然だ!」と大口を叩きながらも、人から離れようとはしない。オロルンがアハウの話など無視して、目の前で食べ物を揺らしてみせると、アハウのサングラス越しの目——あの光っているのは…目で合っているのだろうか…?——がつられて左右に動く。大人しく言葉遣いを改めないと、食べ物が口に入る前に、口を開く権利をキィニチに剥奪される羽目になるのだ。
対して、カクークは口がうまい。話せる人間の言葉は限られているが、そこには情熱がたっぷり込められている——「やっぱ最高だな、きょうだい!」
神の目
一日目の夜、彼は夢の中で冷たい洞窟を見た。
振り向くと、すぐ正面に見える洞窟の入り口から、白い砂のような月光が一筋差し込んでいる。しかし、洞窟の奥のほうには光が一切届かず、しゃーしゃーという音だけが聞こえる。まるで、漆黒の霧が棲むかのようだ。天井から滴る水が、開いた掌に落ちた。ねばねばしている。
「水の中に養分が含まれている。ここは命を育むことができる場所なのだろう」と一つ頷く。
そこで目が覚めた。いい夢だとも、悪い夢だとも思わなかった。夢の中で寒い思いをしたのは、夜になって気温が下がったからだろうか?明日は分厚い布団を出そう。
…すると次の夜は、夢の中で熱い風を浴びた。
視界に映るのは、青白い石柱と赤く縁どられた雲だけ。雲があるということは、空に浮いているのだろうか…?しかし、太陽は見えない。火などどこにもないのに、熱い空気に魂までもが熔かされてしまいそうだ。
どこにいるかは皆目見当がつかないが、なんとなく、ここが終点だという気がした。あと一歩進めば大丈夫だ…あと一歩だけ…
そこで、はっと目が覚めた。人間とは温もりを求めるもので、オロルンもナタの炎が好きだが、先ほどの夢の中で感じた温度は恐ろしいものだった。「いい決断ではなかったな。」と首を横に振った。夢に対する否定なのか、それとも現実に対する否定なのかは定かでない。何にせよ、モコモコ駄獣の毛を使った毛布を被るには、まだ早かったらしい。
三日目の夜は、漆黒の宇宙と鏡の迷宮を見た。重なり合いながら周りを囲っている平面に映る、無数の自分と向かい合った。
そして、頭の中で声を聞いた。「反射する影がいっぱいあれば、完全な自分を組み立てられるかもね?」善意も悪意も感じない、単に状況を面白がる傍観者のような声だった。
しかし、実在しないものを、どうやって反射させろというのだ?それに、この真っ暗な空間の中で、いったい「何」が鏡の中を移動しているんだ…
珍しく怒りが沸き上がり、大声で叫んだ。「影を補うには、光が必要だろう!」
おそらく、人は夢の中でも声を聴くことが出来るのだろう。自分の寝言ではっと目が覚めた。なぜそんな夢を見たのか、解釈しようとするのはやめた。気温のせいだとか、布団のせいだとか、考えられる理由はもう尽きた。完全に意識は戻ったが、まだ怒りの余韻と、ずっしりと身体が重くなったような感覚が残っている。
重いものなど、何一つ身につけていないはずなのに——彼の胸を押さえていたのは、「神の眼差し」だった…